研究開発部の新井です。
今回は、XEBECマイスターフィニッシュにより新しく生まれたアート作品について紹介します。
XEBECマイスターフィニッシュ(以下、マイスターフィニッシュ)を用いたアート作品を手がけたのは、指輪作家のカワベマサヒロさんです。
カワベマサヒロさんは、工業部品であるステンレス製ナットを、電動工具を一切使わずに手作業だけで繊細な指輪へと変貌させる独自の技法で知られる作家です。
これまでの26年間の活動の中で1000点以上の作品を残してきています。
マイスターフィニッシュを活用した新しい作品は、まもなく開催されるカワベマサヒロさんの個展[アット アンカー]にて初披露されます。
個展では、「新しい道具が生まれると、新しい技術や技法が生まれ、その先に新たな作品が誕生する」という、ものづくりの連鎖を来場者に感じてもらえる内容になっています。
詳細については、記事の最後で改めてご紹介しますが、ここでは、どのようにしてマイスターフィニッシュが作品づくりに新しい可能性をもたらしたかの経緯をたどってみたいと思います。
まず、マイスターフィニッシュが具体的にどのように活用されたかをご紹介します。
その一例が、カワベマサヒロさんが「白撞斑紋(はくどうはんもん)」と名付けた装飾技法です。
これは指輪の表面にタガネを打ち込み、その打痕を模様として残す方法です。
タガネにより打点は凹み、同時にその凹みの周囲がクレーターの縁のように盛り上がります。
従来の方法では、この「山」が邪魔をして周囲をきれいに磨くことが難しく、打痕模様を際立たせることが困難でした。
そこで活躍したのがマイスターフィニッシュです。
砥石の先端を工夫して用いることで、盛り上がった部分だけを狙って”研ぎ落とす”ことができ、凹んだ打痕を模様として残しつつ、周囲を滑らかに仕上げることが可能になりました。
指輪の表面は平坦ではなく湾曲していますが、マイスターフィニッシュはその曲面にもしっかりと追従し、過不足のない”研ぎ”を実現しました。
さらに、マイスターフィニッシュの番手が細かく揃っている点も有効でした。
研ぎ加減を微妙に調整しながら、模様の雰囲気を意図通りに浮かび上がらせることができ、カワベマサヒロさんの作品に独自の表情を与えています。
では、どのようにしてマイスターフィニッシュを使った新しい作品が誕生したのでしょうか。この物語は2023年に遡ります。
マイスターフィニッシュは、主に金型磨きの分野で非常に高く評価されている、セラミックファイバーを用いた特殊な砥石です。
発売から20年あまりが経過し、業界内での地位は確立されていますが、私は「まだまだ眠っている可能性があるのではないか」と感じていました。
そして、「マイスターフィニッシュの新しい可能性を切り開けるのは、感性と技術を併せ持ったアーティストに違いない」とひそかに思っていました。
工業的な精度や効率を追求する世界とは異なる視点から、この砥石を活かすことができるアーティストがいるはずだと信じていました。
そんな時、偶然見つけたのが、カワベマサヒロさんの作品でした。
ナットという工業部品を、手作業だけで繊細な指輪へと進化させるその技法に、私は衝撃を受けました。
「この方ならマイスターフィニッシュの潜在能力を最大限に引き出してくれるかもしれない」と直感しました。
それを確かめるため、私は岡山県にあるカワベマサヒロさんの工房を訪ねました。
マイスターフィニッシュの主な特性や用途について、現物を見せつつお話しすると、カワベマサヒロさんはすぐに興味を示され、
「この新しい道具は自分の作品に新しい表情を加えられるかもしれない」と語られました。
その後は、カワベマサヒロさんご自身が独自にマイスターフィニッシュを使い、さまざまな検証を行いました。
砥石の形状を変えてみる、番手を細かく変えて仕上がりの違いを確かめる、押し当てる力・角度・スピードを調整する。
そうした緻密な試行を繰り返す中で、マイスターフィニッシュだからこそ得られる質感や輝きが見えてきたのです。
その結果、約2年の月日を経てマイスターフィニッシュを活用した新作品の完成にたどり着きました。
カワベマサヒロさんの作品づくりを通じて、従来の工具にはないマイスターフィニッシュの特徴として際立ったのは次の2点です。
従来の工具では、想像より削りすぎてしまったり、逆に削れなかったりすることがあります。
マイスターフィニッシュは、微妙な加減で”研ぎ落とす”ことができるため、削る対象の素材を必要以上に減らさず、かつ確実に整えることができます。
よって、繊細な模様やエッジを保持したまま、美しい仕上がりが得られるのです。また、細かな番手ラインナップがあるため、作り手の要望に沿うものが必ずあります。
すなわち、磨きの分野で使用されることが多いマイスターフィニッシュは、”研ぎ落とす”という能力もあるのです。
まさに”研磨”の文字が意味する”研ぎ”や”磨き”に最適な砥石といえます。
サンドペーパーのように”軟らかい”工具は加工対象物への追従性がある一方で局所的な加工はできません。
精密ヤスリのような”硬い”工具では精密な削りができる一方で形状が限られているため、複雑な箇所へ当てることが難しいです。
マイスターフィニッシュは成形することにより細部に届く極細形状や、曲面に合わせた特殊形状など自由に形状を変えられる”軟らかさ”を持ちながら、
その形状を保持しながら加工できる”硬さ”を持つというユニークな性質を備えています。
すなわち、軟らかい工具の柔軟さと硬い工具の精密さを両立させた、新しいカテゴリーの工具なのです。これらの特性は、カワベマサヒロさんの指輪制作のように、金属に対する繊細な装飾仕上げや細かなデザインのための微細加工が必要な作品づくりに最適と言えるでしょう。
これらの特性は、カワベマサヒロさんの指輪制作のように、金属に対する繊細な装飾仕上げや細かなデザインのための微細加工が必要な作品づくりに最適と言えるでしょう。
以上がまさに「新しい道具が生まれると、新しい技術や技法が生まれ、その先に新たな作品が誕生する」の具体事例です。
実は研ぎ・磨きの歴史を振り返ると、同じことが繰り返されてきたことが分かります。
道具は単なる作業手段ではなく、新たな表現や用途を切り開くきっかけであり、その進化のたびに研ぎ・磨きの世界は広がってきたのです。
まず、研ぎ・磨きは人類最古の加工技術のひとつであり、その起源は石器時代にまで遡ります。
当時の人々は、獲物を解体したり木を加工したりするために、硬い石で刃を研ぎ澄まし、より鋭く、より長く使える道具を作り出しました。
研ぎ・磨きは単なる作業ではなく、生き延びるための知恵であり、文明の発展を支える礎でした。
次に、金属の時代に入ると、研ぎ・磨きはさらに重要性を増します。 青銅器や鉄器は砥石を使った研ぎと磨きを経て初めて真価を発揮しました。
スキやクワの刃は農作業を効率化し、剣や槍の切れ味は戦いの勝敗を左右しました。この時代の研ぎ・磨きは、力強さと耐久性を求める実用のためのものでした。
やがて中世に入ると、研ぎ・磨きは美しさを求める方向へも進化します。
ヨーロッパでは甲冑を磨くための布や革、日本では刀鍛冶が砥石を駆使して刀身を仕上げるといった道具が活躍しました。
こうした研ぎ・磨きは、単なる機能性にとどまらず、美的価値を同時に追求する技術へと昇華していったのです。
近代になると、研ぎ・磨きは精密さを極める方向に発展します。
時計や宝飾品、精密機械など、より微細な精度が求められるようになり、従来の天然砥石やヤスリに加えて、新たに人造砥石が登場しました。
さらに水をかけながら使用できる耐水性研磨紙は表面仕上げの幅を広げ、やがてダイヤモンド工具が普及することで、これまで研ぐことができなかった超硬素材にまで対応可能になりました。
そして現代、砥石の世界に現れた新しい形が、セラミックファイバーを用いたマイスターフィニッシュです。
人類の研ぎ・磨きの長い歴史の中でもまだ新しいこの砥石が、研ぎ・磨きの文化にどう影響していくのかは始まったばかりです。
しかし、これまでの歴史が示すように、新しい道具は必ず新しい技術や表現を生み出します。
マイスターフィニッシュもまた、これからの研ぎ・磨きの進化を加速させる一つの転換点になるはずです。
今回のカワベマサヒロさんの取り組みを通じ、道具の価値は使い手の感性と技術によって大きく広がることを再認識しました。
今後も、手作業研磨の道具としてのマイスターフィニッシュの進化を模索し、新しい技法や質感を創り出す人々を支えていきます。
ところで、今回のカワベマサヒロさんの個展のタイトル[アット アンカー]は、広い海の上を航海する船が時に錨を下ろし、その土地でしばし停泊する錨泊を意味します。
錨泊のように、色んな場所で、その時その場ならではの展示を開きたいという思いから名付けられています。
一方で、ジーベックテクノロジーという社名の[XEBEC]は、14世紀の地中海で活躍した三本マストの帆船に由来します。
風を受け、三枚の帆が互いに力を補い合って前進するその姿は、ものづくりにおける協力と挑戦の象徴でもあります。
偶然にも、今回の個展[アット アンカー]と、当社の名に込められた[XEBEC]とが、同じ海を舞台に重なりました。
帆を張って進む時もあれば、錨を下ろして立ち止まる時もある。航海と停泊を繰り返す中で、新しい道具が生まれ、新しい技術や表現が育まれていく。
今回の展示が、そんな航海のひとときの錨泊であり、次なる出航に向けた大切な時間となることを願っています。
そしてこの錨泊が、新しい帆を張る原動力となり、ものづくりの未来をさらに広げていくきっかけとなれば幸いです。
本記事で紹介した新技法「白撞斑紋」を含む最新の指輪作品は、カワベマサヒロさんの個展[アット アンカー]にて展示されます。
ナットから制作されたとは思えない作品群を、会場で直接ご覧いただけます。作品や展示空間全体を通じて、マイスターフィニッシュがもたらす新しい表現の可能性を体感していただけるはずです。
是非ご来場ください。
日付:令和7年11月15日(土)~17日(月)/20日(木)〜24日(月・祝) 時間:平日 10時~16時/土日祝日 10時~17時 会場:アフターアワー 岡山県倉敷市児島下の町9-4-1